発症
貧血と過換気
初めての異変は過換気症候群(過呼吸)で、それは12年前です。
(10年前と思っていましたが、勘違いでした)
ただ、自分自身、これが精神面から来る症状だと分からないまま、手足や顔面の痺れ、手指の硬直が恐ろしい病気なのかと恐怖に駆られながらも子供が乳児だったこともあって、一人で家で耐えてやり過ごしたと思います。
そしてこの時、私はこの症状を貧血だと思い込んでいました。
でも、今にしてみれば、これが私にとっての統合失調症との長い付き合いの始まりだったようです。

きっかけ
今現在(2004年1月)の医師に
「思い当たる原因は?」と訊かれ、
「わかりません」と答えた私ですが、実は思い当たる節はあります。
ズバリ姑です。
初めて過換気が起きたとき、その日は私の留守(子供の検診で外出していた)に訪ねてきた義母が、家中をひっくり返してくれた日なのです。
義母としては、家の中を片付けただけだったつもりのようですが、食器の収納場所から家具の配置、たんすの中身まで全部変わっていたのですから、私としてはプライバシーも何も無いとショックを受けましたし、自分のやり方を否定されたようで悲しかったのを覚えています。(これ以前にも似たようなことは多々ありました)
『台所はその家の主婦の聖域なのだから、どんなに不都合があっても口出ししてはいけない』というのが、私を育ててくれた祖母の教えでしたし。
(義母は世話好きでよく動く人なので、悪気は無いのです。実際、助かっていることもかなりあるのです。が、思い立ったら即行動するというこの性格に慣れるまでには相当の時間が掛かると思います。)
義母が帰った後、たまたま実家の父から電話があり、(私に実母はいません)私は父に事の次第を話しました。
が、所詮は男親。
「面倒なことは持ち込むな」
と一蹴されてしまったのです。夫は無関心を決め込んでいました。
――頼れる人も、グチを聞いてくれる人もいないんだ・・・
そう思った直後、過換気が起きたのです。

この後も、義母が我が家を訪れる度に、過換気の発作が起きるようになりました。
しかし、義母の前では気が張っている為、彼女が帰ると発作が起きるのです。
そんなことを繰り返しているうちに二人目(正確には二人目を流産しているので三人目)を妊娠しましたが、今度は過換気と共にパニック発作(この頃はそんな名称はありませんでしたが)が始まったのです。
それが今から10年前です。

パニック発作の恐怖
パニック発作とは、死ぬのではないか、とか、このまま気が狂ってしまうのではないか、などととにかく思考が恐ろしい方向にばかり向いてしまう発作で、動悸や眩暈、呼吸困難を伴うこともあります。私の場合、恐怖のあまりに「誰か助けて!」と誰もいない家の中で叫んだこともあります。ただ、大抵の場合、30分から1時間、長くても2時間もしないで治まるようです。
そのパニック発作がなぜ恐ろしいかというと、いつ起こるかわからないから、です。
実際、車を運転中、高速道路で発作が起き、高速を下りることも、路肩に寄せて救急車を呼ぶこともできずに、ただ事故を起こしませんようにと神に祈りながら泣いたことも幾度かあります。(後部座席には3歳の長男)
私自身、こんな発作が起きる原因も、起こるタイミングもわからなかったのですから、周囲の者(夫や義母)を責めるわけにはいかないのですが、何かというと車を出すように言われていたために運転の機会はかなり多かったのです。(独身時代は改造車に乗ってたし)
おまけに仕事の都合で子連れでの外出の機会も多く、電車の中や駅のホームでしゃがみこんだことも数知れず。
でも、声を掛けてもらったことは皆無でした(笑)。
こんなことが続くうち、私は外出恐怖症になっていきました。とにかく、電車やバスに乗ることや、人ごみに出るのが怖くなったのです。


ER
夜中や時間外に救急病院に駆け込むこともしばしばでした。
その頃は、上に説明したような症状が精神的なものだと分からず、とにかく心臓(心筋梗塞)を疑ったのです。
駆け込んだERでもまず心筋梗塞を疑われ、心電図や動脈血検査も何回も受けました。同時に吐き気もあったために、内科や産婦人科にもかかり、循環器科や脳神経外科にも行きました。
が、当然の如く症状は改善せず、自分から
「もしかしたら心療内科の病気でしょうか?」
と、内科医に尋ねもしました。が、そのときの医師は
「違いますね。でも、まあ、気休めになるなら心療内科にかかってみたら?」
というような軽い言葉を返してくれたのでした。
この時が7年前くらいです。